本田賢広ストーリー

本田賢広
株式会社セブンフォールド・ブリス 代表取締役
エグゼクティブコーチ
国際コーチング連盟(ICF)マスター認定コーチ(MCC)
グロービス経営大学院MBA
ストーリー
人目を気にしながらも、負けず嫌いを貫いた学生時代
福岡県で3兄弟の長男として生まれる。幼少期はアトピーに悩み、人目を気にして自ら心に壁を作るような、自己肯定感の低い子供であった。それでも「負けず嫌い」だけは人一倍で、必死に頑張り東京大学へ。生まれ育った九州を離れ、上京した。
大学では運動しようと決め、選んだのは、当時、強いと評判で「未経験でもできる」といわれたボート部。しかし、そこは想像を絶する世界であった。年間300日合宿、朝4時50分起床の生活で、同期50人はあっという間に10人に。学校にあまり行けないので、単位が不足し留年確定(涙)。

「ここまで犠牲を払ったら、もう絶対にボートで結果を出すしかない」
その想いで、合宿が休みの期間もコソコソ一人合宿、人一倍練習した甲斐あって、漕力測定でトップクラスに。3年生ながら4年生に混じって第1クルーに乗ることができた。捨てる神あれば、拾う神あり!地獄の練習を乗り越え、めでたく全日本軽量級選手権・エイト種目で優勝。あの時の「結果を出すしかない」という覚悟と限界を超えた体験は、今の自分を支える原点の一つとなった。
対人恐怖症で、辛い社会人スタートを切る
大学では正直、ボートしかしてこなかったので、「工学部だからメーカーに就職」という気持ちにはなれなかった。
それより、対人恐怖症気味の性格が自分自身心の底から嫌になり、自分を変えたいとあえて文系就職を選択、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行した。
しかし、周囲のスマートなコミュニケーションを目にするたび劣等感が増し、孤独感で鬱に。「消えてしまいたい」と思うほど辛い毎日を過ごす。
人生を変えた「運命の出会い」
そんな時、偶然担当した住宅ローンのお客様が、プルデンシャル生命の支社長であった。
「我々が売っているのは保険ではない。人間愛、そして家族愛だ」。
その本気の情熱と理念に心を打たれ、大号泣。
「対人恐怖症の自分が、保険の営業なんてできるわけがない」と分かっていたが、「このままでは先の人生が見えない。どっちみち先がないなら、魅力を感じた世界に飛び込んでみよう」と、一か八かで転職を決意した。
長時間労働の中で本質をつかみ、最高の結果が出せるように
完全歩合制セールスのため、「明日、食べられなくなるのではないか」と不安で不安で、1日14〜15時間、年間360日働いた。
時には借金して、営業や心理学のセミナーに参加した。最初は雑談もできなければ、お客様の反論に心が乱されるなどひどい営業マンだったが、誰よりも長時間働き、学び、一つひとつの目標に最後までくらいつく生活を続けるうち、だんだんと成果が出るように。
「我々が提供するのは保険じゃなく、家族を想う気持ち、それを形にしたものなんだ!」と本質も理解でき、実践できるようになってきた。すると、商談に感動されたお客様が、大切な方をご紹介くださるようになった。7年目にはご紹介だけで仕事が回るようになり、個人保険を年間360件販売、2,500人中2位の成績を収めることができた。

頂点からどん底へ
業績が上がってくると、今まで見向きもしなかったトップセールスの方達が一目置いてくれたり、後輩たちが周りに集まってくれたりするようになった。嬉しい反面、「しかしそれは、あくまで業績ありき。もう、これ以上の結果は出せない。数字が落ちれば皆去っていくのでは?」と、むしろ不安が募るばかりであった。心身ともにキャパオーバー。言動も人間関係もどんどん壊れていった。そして、最高の成果を出してわずか4ヶ月後に退職した。
復活、そしてまた無職へ
2ヶ月半ほど失意でふらつく中、熱心に誘ってくださったハートフォード生命(現オリックス生命)に就職。「もう、猛烈に働くのはやめよう」と思っていたが、少しずつ心が癒える中、「あの時、頑張った結果はフロックだったのか?それとも実力だったのか?もう一度、自分の力を試してみたい」と再び立ち上がる。また3時間睡眠で走り続けた結果、2年後、再び全国2位に。「来年こそは1位を」と思った矢先、リーマン・ショックで会社に激震が走った。

同社がメインで扱っていたのは、銀行を販売窓口とする変額年金(お客様が将来の年金資産を自助努力で作るべく、投資信託で運用する生命保険商品)。お客様の資産は軒並み激減し、銀行の方々は怒号を浴びせられることになった。
お世話になった銀行員の皆さんを守らねばと、クレーム対応や既契約者セミナーに明け暮れる中、会社から告げられたのは、突然の「営業停止」。営業マンは全員、自動的に解雇となり、39歳で再び無職になった。
しかし前回の無職の時とは異なり、やれることを全てやり切った納得感、そして確かな自己信頼を感じることができた。気づけば、「職業選択の自由だ!」と爽やかに叫んでいた。
自分の使命は何か
「せっかく自由になったのだから、本当にやりたいことで独立しよう」と決意。
自分の人生で一番辛かったのは、自信がなく、豊かな人間関係が築けなかったこと。今の自分は、営業の世界の荒波に揉まれる中、コミュニケーションがだんだんできるようになり、お陰で未来が開けて家族もできた。今が一番幸せだと断言できる。
しかし周りを見回せば、かつての自分と同じように、自分を信じられず、寂しかったり辛かったりしている人が少なくない。自分はそういった方々を勇気づけ、幸せな未来を掴んでいただくお手伝いをするために、こんな人生を生きてきたのではないのか?
今日も、一隅を照らし続ける
コーチとして生きよう!
その想いが体の底から湧き上がり41歳で独立、2012年12月に株式会社セブンフォールド・ブリスを設立した。
「人々を勇気づける志事を、体ひとつで最大多数の方に施すにはどうすればいいか」
考え抜き、選択したメイン事業が、エグゼクティブコーチング。大組織のトップに貢献することにより、多くの部下の方やその家族、お取引先、お客様や社会に素晴らしい影響が出るためだ。もう一つのメイン事業が、リーダー向け研修(1on1ミーティングや管理職研修ほか多数)。やはり、多くの関係者が幸せになるために。
2017年11月、会社が6年目に入るタイミングで、天野帆波が入社。学生時代、バレーボール部でキャプテンを全うし、前職では法人営業で結果を出した責任感とリーダーシップの持ち主。何より、「人々の幸せに貢献したい」という使命感、価値観が当社にベストマッチ、最強のパートナーを得た!
最初は一隅を照らす小さな光でも、いずれは世の中がパアッと明るくなる一助となるために、
「あなたには価値がある」
このことを今日も、一人ひとりに伝え続けていく。
